東京地方裁判所 昭和55年(ワ)2993号 判決 1986年8月21日
甲事件原告・乙事件被告
根本政明
甲事件原告・乙事件被告
根本享幸
乙事件被告
秋葉和栄(旧姓根本)
右三名訴訟代理人弁護士
岡崎幸祐
甲事件被告・乙事件原告
根本寛一郎
右訴訟代理人弁護士
水嶋幸子
主文
一 甲事件原告・乙事件被告根本政明、同根本享幸の甲事件請求をいずれも棄却する。
二 別紙物件目録記載の土地は甲事件被告・乙事件原告根本寛一郎の所有であることを確認する。
三 甲事件原告・乙事件被告根本政明、同根本享幸及び乙事件被告秋葉和栄は、別紙物件目録記載の土地についての東京法務局城北出張所昭和四九年三月三〇日受付第二〇三一六号訴外亡根本みの持分一〇分の六の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。
四 甲事件原告・乙事件被告根本政明は、別紙物件目録記載の土地についての東京法務局城北出張所昭和四九年三月三〇日受付二〇三一六号持分一〇分の四の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。
五 甲事件原告・乙事件被告根本政明、同根本享幸は、別紙物件目録記載の建物(右両名のため東京法務局城北出張所昭和四〇年六月一七日受付第一六〇一二号各持分二分の一の所有権移転登記のあるもの)の滅失登記手続をせよ。
六 訴訟費用は、甲乙両事件を通じて全部甲事件原告・乙事件被告根本政明・同根本享幸及び乙事件被告秋葉和栄の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 甲事件請求の趣旨
1 別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)につき甲事件原告・乙事件被告根本政明(以下、「原告政明」という。)が一〇分の四の持分権を、甲事件原告・乙事件被告根本享幸(以下「原告享幸」という。)が一〇分の六の持分権を有することを確認する。
2 別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)につき原告政明、同享幸が各二分の一の持分権を有することを確認する。
3 訴訟費用は甲事件被告・乙事件原告根本寛一郎(以下「被告寛一郎」という。)の負担とする。
二 甲事件請求の趣旨に対する答弁
1 原告政明、同享幸の請求を棄却する。
2 訴訟費用は右原告らの負担とする。
三 乙事件請求の趣旨
1 主文第二ないし第五項同旨
2 訴訟費用は原告政明、同享幸及び乙事件被告秋葉和栄(以下「被告和栄」という。)の負担とする。
四 乙事件請求の趣旨に対する答弁
1 被告寛一郎の請求を棄却する。
2 訴訟費用は被告寛一郎の負担とする。
第二 当事者の主張
一 甲事件請求原因
1 訴外根本仁助(以下「仁助」という。)と訴外亡根本み(以下「とみ」という。)夫婦間の長男が被告寛一郎であり、原告享幸は右夫婦の三男、原告政明は五男、被告和栄は二女であり、訴外福田堅治(以下「福田」という。)はとみの妹の配偶者である。
2 本件土地はもととみが所有しており、本件建物はもと被告寛一郎が所有していたが、昭和三三年一一月六日、訴外坂本伝吉(以下「坂本」という。)が本件土地建物を競落し、昭和三四年一月一九日、その旨の各所有権移転登記を経由した。
3 その後、とみは、坂本から、本件土地を買戻してその所有権を取得したが、債権者らの追及を免れるため、登記簿上は、本件土地につき昭和三四年四月二五日同年三月三一日売買を原因として福田名義に所有権移転登記を、本件建物につき昭和三四年四月二五日同年三月三一日売買を原因として被告和栄名義に所有権移転登記をそれぞれ経由した。
4 とみは、昭和四九年二月二八日ないし同年三月三〇日頃にかけて、本件土地の持分一〇分の四を原告政明に贈与し、同年三月三〇日、同年二月二八日売買を原因とし、本件土地の持分一〇分の四につき原告政明名義に、一〇分の六につきとみ名義にそれぞれ所有権移転登記を経由した。
5 次いで、昭和五三年一一月中旬頃、とみは、原告享幸に対し本件土地の持分一〇分の六を贈与した(登記手続は未了)。
6 本件建物については、とみは、原告政明、同享幸に対し、その持分各二分の一を、第一次的には昭和三七年九月中旬頃、第二次的には昭和四〇年六月一七日、第三次的には昭和四二年頃、第四次的には昭和四四年から昭和四五年頃、第五次的には昭和四九年三月三〇日頃、また原告享幸に対しては第六次的に昭和五三年一一月中旬頃贈与し、昭和四〇年六月一七日、同年四月二六日売買を原因として本件建物の持分各二分の一につき原告政明、同享幸名義に所有権移転登記を経由した。
7 なお、本件土地上に現存する建物は、本件建物の一部分を本件土地上に移転させたもので、本件建物と同一性を有しており、本件建物についてとみが原告政明、同享幸になした贈与は、その時期が前項の各所有権移転登記に遅れるとしても、黙示の合意によりその効力は右各移転登記時に遡及するものであり、仮に然らずとするも、本件建物についての現在の権利関係を公示するものとして有効である。
8 よつて、原告政明、同享幸は、被告寛一郎に対し、本件土地につき原告政明が一〇分の四の持分権を、原告享幸が一〇分の六の持分権を、本件建物につき右原告両名が各二分の一の持分権を有することの確認を求める。
二 甲事件請求原因に対する認否
1 第1、2項の事実は認める。
2 第3項の事実中本件土地建物につきその主張のとおりの登記が経由されたことは認めるが、その余の事実は否認する。坂本から本件土地建物を買受けたのは被告寛一郎である。
坂本が競落した土地は、分筆前の本件土地を含む東京都足立区千住龍田町六六番宅地九五坪九合五勺(三一七・一九平方メートル)であり、右土地は、昭和三四年四月六日、六六番宅地二二坪三合七勺(七三・九五平方メートル)、同番八宅地二二坪四合(七四・〇四平方メートル)、同番九宅地四〇坪九合八勺(一三五・四七平方メートル)、本件土地である同番一〇宅地一〇坪二合(三三・七一平方メートル、以下同番の土地は地番のみで表示する。)の四筆に分筆され、六六番の土地は坂本から買戻後直ちにその賃借人である訴外松島喜四郎に売却され、六六番八、同番九の土地はとみが、本件土地は被告寛一郎がそれぞれ買戻したが、登記簿上は六六番八の土地及び本件土地につき福田名義に、六六番九の土地につき被告和栄名義で所有権移転登記が経由され、その後とみは六六番八の土地を訴外松島豊三郎に、六六番九の土地を訴外内田さき(以下「内田」という。)に売却した。
被告寛一郎が買戻した本件建物については原告ら主張のとおり登記簿上は被告和栄名義に所有権移転登記が経由された。
3 第4項の事実中本件土地につきその主張の登記が経由されたことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 第5項の事実は否認する。
5 第6項の事実中本件建物につきその主張の登記が経由されたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件建物は昭和三六年六月中旬頃取毀されて滅失した。現在本件土地上に存在するのは、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗兼居宅(延面積七一・二七平方メートル)であり、右建物は、被告寛一郎が、昭和三六年七月頃、六六番八、同番九の土地上にあつた取毀建物の古材を利用して新築したもので、本件建物とは別の建物である。
6 第7項中本件土地上の建物と本件建物とに同一性があることは否認し、その余の主張は争う。
三 甲事件抗弁
1 仮に、本件土地を坂本から買受けたのがとみであるとしても、被告寛一郎は、昭和三三年三月一〇日ないしは昭和三四年三月九日以降、所有の意思をもつて、平穏公然、善意無過失で本件土地の占有を継続したから、一〇年経過後の昭和四三年三月九日ないしは昭和四四年三月八日限り本件土地所有権を時効取得した。
仮に悪意であつたとしても、二〇年経過後の昭和五三年三月九日ないしは昭和五四年三月八日限り時効が完成し、その所有権を取得した。
2 仮に本件土地上に現存する建物と本件建物との間に同一性があり、同建物を買受けたのがとみであるとしても、被告寛一郎は、昭和三六年六月初旬以来、これを自己の所有建物であると信じて、その占有を継続してきたから、昭和四六年六月中、あるいは昭和五六年六月中には取得時効が完成し、その所有権を取得した。
四 甲事件抗弁に対する認否いずれも争う。
五 乙事件請求原因
1 事件関係者の身分関係は甲事件請求原因第1項のとおりである。
2 本件土地はもととみが所有していたが、昭和三三年一一月六日、坂本がこれを競落し、次いで、被告寛一郎が、昭和三四年三月三一日、坂本から本件土地を買受けて、その所有権を取得した。
3 しかしながら、本件土地登記簿上は、昭和三四年四月二五日、同年三月三一日売買を原因として福田名義に所有権移転登記がなされ、更に、昭和四九年三月三〇日、同年二月二八日売買を原因とし、本件土地の持分一〇分の四につき原告政明名義に、一〇分の六につきとみ名義に各所有権移転登記がなされている。
4 前項の各登記はいずれも虚偽表示であつて無効のものである。
5 とみは、昭和五四年五月一〇日死亡し、その子である原告政明、同享幸及び被告和栄は、相続により、本件土地の持分一〇分の六についてのとみ名義の所有権移転登記の抹消登記手続義務を承継した。
6 本件建物は、本件土地を含む分筆前の東京都足立区千住龍田町六六番宅地上に存在し、被告寛一郎の所有であつたが、昭和三三年一一月六日、坂本がこれを競落取得した。
その後、被告寛一郎は、坂本から本件建物を買戻したが、登記簿上は昭和三四年四月二五日被告和栄名義に所有権移転登記が経由された。
7 次いで、昭和三六年六月頃、六六番宅地から分筆された六六番九の土地を、とみが内田に売却するに当り、同地上の本件建物を取毀しを前提に同人に売却し、本件建物は、同年七月取毀されて滅失した。
8 しかるに、本件建物登記簿は閉鎖されないまま、昭和四〇年六月一七日、同年四月二六日売買を原因として、その持分各二分の一につき原告政明、同享幸名義の所有権移転登記が現存している。
9 被告寛一郎は、本件土地上に木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗兼居宅(延面積七一・二七平方メートル)を新築所有しており、同建物の保存登記手続をなすべき必要がある。
10 よつて、被告寛一郎は、原告政明、同享幸及び被告和栄に対し、本件土地が被告寛一郎の所有であることの確認を求めるとともに、本件土地についての東京法務局城北出張所昭和四九年三月二〇日受付第二〇三一六号とみの持分一〇分の六の所有権移転登記の抹消登記手続を求め、原告政明に対し、本件土地についての同出張所同日受付第二〇三一六号持分一〇分の四の所有権移転登記の抹消登記手続を求め、原告政明、同享幸に対し、内田に代位し、本件建物についての同出張所昭和四〇年六月一七日受付第一六〇一二号各持分二分の一の所有権移転登記の滅失登記手続を求める。
六 乙事件請求原因に対する認否
1 第1項の事実は認める。
2 第2項の事実中本件土地をもととみが所有していたこと、坂本がこれを競落したことは認めるが、その余の事実は否認する。
3 第3項の事実は認める。
4 第4項の主張は争う。
5 第5項の事実中とみが昭和五四年五月一〇日死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。
6 第6項の事実中被告寛一郎が坂本から本件建物を買受けたことは否認するが、その余の事実は認める。
7 第7項の事実は否認する。本件建物は、その一部分が本件建物との同一性を失わずに、所有者とみにより本件土地上に移転された。
8 第8項の事実は認める。
9 第9項の事実は否認する。本件土地上の建物は本件建物の一部であつて、本件建物との同一性を失つていない。
第三 証拠<省略>
理由
一仁助、とみ夫婦間の長男が被告寛一郎であり、原告享幸が右夫婦の三男、原告政明が五男、被告和栄が二女であり、福田がとみの妹の配偶者であること、本件土地はもととみが所有しており、本件建物はもと被告寛一郎が所有していたが、昭和三三年一一月六日、坂本が本件土地建物を競落し、昭和三四年一月一九日、その旨の各所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。
二<証拠>によれば、仁助ととみの夫婦関係は、昭和二七、八年頃には仁助の女性関係から完全に破綻し、事実上の離婚状態にあり、昭和二八年末には、とみから仁助に対し離婚調停の申立がなされるまでになつていたこと、とみは、その頃、すでに鮮魚の小売に従事しており漸く成年に達したばかりの被告寛一郎を除き、六人の未成年の子を抱え、保険の外交のほか、本件建物を利用しての貸室、下宿業、バー営業等をしてその生計を維持すべく努めていたが、右資金に供するため、昭和三〇年三月一五日、本件土地を含む分筆前の六六番宅地(九五坪九合五勺)と同地上の本件建物を担保として、被告寛一郎名義で巣鴨信用金庫から借入れた借入金七〇万円の返済につき、介在した事件屋の背信行為もあつて、その支払が滞つたことから、同信用金庫により右六六番宅地及び本件建物に競売申立(東京地方裁判所昭和三一年(ケ)第一八四号事件)がなされ、右競売手続において、前記のとおり坂本が本件土地を含む右六六番宅地及び本件建物を競落するに至つたものであること、その後、とみは、競落された土地建物を買戻すべく、親類縁者等から借入をなすとともに、競落人の坂本と交渉し、同人の了解の下に、買戻に当り、予め昭和三四年四月六日、六六番宅地(九五坪九合五勺)を、六六番宅地(二二坪三合七勺)、同番八宅地(二二坪四合)、同番九宅地(四〇坪九合八勺)及び本件土地である同番一〇宅地(一〇坪二合)の四筆に分筆し、六六番宅地と同番八宅地はその土地賃借人らに買戻後直ちに売却することとし、六六番九宅地はとみ自らの居住用として、本件土地は、当時すでに被告寛一郎が同地上建物で鮮魚小売店を営んでいたので同被告に使用させることとし、本件土地分として二五万円を被告寛一郎に拠出させたほかはとみが調達した資金で右四筆の土地と本件建物を買戻したこと、買戻後、六六番宅地は直ちに売却処分したが、その他の土地については、債権者の追及を虞れて他人名義を借用して登記をすることとし、昭和三四年四月二五日、いずれも同年三月三一日売買を原因として、六六番八宅地及び本件土地については当時とみの相談相手となつていた福田の同意の下に同人名義で、六六番九宅地及び同地上の本件建物については娘である被告和栄名義でそれぞれ所有権移転登記を経由したことを認めることができる(本件土地建物につき右のとおり各所有権移転登記が経由されたことは当事者間に争いがない。)。
右に認定したところからすれば、坂本から本件土地を買受けたのは被告寛一郎であり、本件土地の所有権は被告寛一郎にあることを認めることができる。
なお、<証拠>によれば、その後昭和三六年六月になつて、とみは六六番九宅地を手放すことになり、これを内田学園洋裁学校の校舎用地として内田に売渡した際、本件土地についても買取の申入れを受けたのであるが、とみは、本件土地は被告寛一郎の所有地であるから、その買取交渉は同被告となすよう応答していることが認められ、本件土地所有権の帰属について前記認定判断は、右事実によつても裏付けられるものというべきである。
そして、右認定に反する原告政明、同享幸各本人の供述は、単なる推測又は伝聞に基づくものにすぎず、にわかに信用することはできない。
尤も、<証拠>によれば福田名義の土地に賦課された税金の領収証の一部がとみの手中にあつたことが窺われるが、<証拠>によれば、納税手続自体はとみがしたとしても、その出捐者は必ずしもとみに限られていたわけではないことが認められるから、右領収証がとみの手中に存したとしても、そのことは必ずしも前記認定に妨げとなるものではないし、他に前記認定を動かすに足りる証拠はない。
ところで、本件土地については、昭和四九年三月三〇日、同年二月二八日売買を原因とし、その持分一〇分の四につき原告政明名義に、一〇分の六につきとみ名義に所有権移転登記が経由されていることは当事者間に争いがない。
しかしながら、<証拠>によれば、右登記手続は、形式上の登記名義人である福田から、本件土地の名義を真正な権利者に戻す手続をとるよう再三催促された挙句、とみが、右福田及び真実の権利者である被告寛一郎に断りなく、全くその独断でしたものであることが認められるから、本件土地の所有権は依然として被告寛一郎にあるものというべきである。
三次に、本件建物についてみるに、<証拠>によれば、昭和三六年六月、六六番九宅地が学校用地として内田に売渡された際、同地上には鉄筋コンクリート造陸屋根三階建校舎の建築が予定されていたため、同地上の本件建物は取毀すことを前提として土地と共に内田に売渡されたこと、しかし、内田側では、本件建物がかなり良質の用材を使用して建てられたものであつたことから、とみらに対し、本件建物の取毀によつて生ずる古材の利用を慫慂、許諾したため、同年七月、被告寛一郎は本件建物を取毀し、その古材の一部を使用して、本件土地上に一、二階共約一〇坪の店舗兼居宅を新築し、これを所有するに至つたことを認めることができる。そして、右建築費用はとみが負担した旨の原告政明及び被告和栄の供述は前掲証拠に照らして信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右のとおり、本件建物は昭和三六年七月頃取毀されて滅失するに至つたものであるから、本件建物登記簿上は、その後の昭和四〇年六月一七日、同年四月二六日売買を原因として、原告政明、同享幸名義で、持分各二分の一の所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがないが、右登記はその実体を欠く無効なものであるというべきである。
四従つて、本件土地につき原告政明が一〇分の四の、原告享幸が一〇分の六の各持分権を、本件建物につき右原告らが各二分の一の持分権を有することの確認を求める右原告らの甲事件請求はいずれも理由のないことは明らかである。
そして、原告政明、同享幸及び被告和栄に対し、本件土地が被告寛一郎の所有に属することの確認及び本件土地についてのとみの持分一〇分の六の所有権移転登記の抹消登記手続を求め、原告政明に対し本件土地の持分一〇分の四の所有権移転登記の抹消登記手続を求める被告寛一郎の乙事件請求はいずれも理由がある。
なお、被告寛一郎は、原告政明、同享幸に対し、本件建物の滅失登記手続を求めるところ、建物の滅失登記は、不動産の表示に関する登記であつて、不動産登記法は、これについては、不動産所有権者に滅失登記申請義務を課したほか、登記官が職権をもつてこれをなすべきものと定めているにすぎないが、本件の如く、滅失した本件建物と本件土地上に新築された建物の同一性の有無及びその所有権の帰属が争われており、右新築建物についての保存登記もなされていない場合においては、右新築建物の所有権者である被告寛一郎は、滅失した本件建物の登記簿上の所有名義人である原告政明、同享幸に対し、その滅失登記申請手続をなすよう求める権利を有するものと解すべきであり、この点の被告寛一郎の請求も理由がある。
五よつて、原告政明、同享幸の甲事件請求をいずれも棄却し、被告寛一郎の乙事件各請求を認容し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官落合 威)
別紙物件目録
東京都足立区千住龍田町六六番一〇
一 宅地 三三・七一平方メートル(一〇坪二合)
東京都足立区千住龍田町六六番地
家屋番号 六六番
一 木造亜鉛メッキ鋼板瓦交葺平家建店舗兼居宅一棟
床面積 一六五・二八平方メートル(五〇坪)